■ 沿革
掻引城の創建者は唐梅城と同じ千葉左衛門慰頼胤とされる。
性格的に唐梅城の根小屋としての機能をもっていたものと思われ、史料には唐梅城と混同されている物も見受けられる。
■ 構成
唐梅城の麓である南方約1.5kmの地、標高78mの丘陵に位置する。
東西37m×南北45mの方形状の主郭を持つ単郭の城館である。主郭の北西から西側にかけて空堀が配されており、そのまま南側の谷へと続いている。
東南側には腰郭が二段設けられている。
■ 現況
現在は住宅地となっているが、空掘などの遺構が良好に残る。
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■ 北側
城跡の北側部分。現在は道路となっている。 |
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■ 主郭跡
東西37m×南北45mの規模で、方形状の主郭を擁する。 |
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■ 唐梅城遠望
画像中央の山頂部が唐梅城主郭跡である。 |
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■ 主郭南側切岸跡
南側には空掘が配されず、自然の谷を生かした切岸となっていた。
現在は宅地となっている。 |
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■ 主郭西側空堀跡
幅5m程度、深さ1?2m程度の空堀が設置されている。 |
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■ 主郭北西端空堀跡
上記の画像、空掘の北西端である。 |
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■ 主郭北西端空堀跡
上記画像を外側より見たところである。 |
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■ 西側外周
主郭の西側は数段の緩やかな段築が確認できる。 |
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■ 東側外周
主郭の東側には自然の谷となっている。 |
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■ 唐梅城主郭よりの遠望
画像中心部が掻引城跡である。 |
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